ハギチョスの詳細プロフィール

ハギチョスの詳細プロフィール

ハギチョスこと萩原博人です。
はじめまして^^

このページでは、私、ハギチョスの、
詳しいプロフィールをお伝えさせていただきます。
私の人となりが、少しでもあなたに伝われば嬉しいです^^

せっかくですので、
生い立ちから現在に至るまで、
詳しくお話しさせていただきます。

長くなってしまいますが、
最後までお付き合いいただけると幸いです^^

詳しいプロフィール

名前:萩原博人

性別:男性

現住所:奈良県生駒市

出身地:奈良県生駒市

誕生日:1980年11月3日(文化の日)

身長:181センチ

体重:76キロ

体脂肪率:16%

趣味・その他雑記

 マラソン 

 トライアスロン

 電子ドラム(Roland V-Drums)

 トレーニング

 読書(通算1000冊ほど読破)

 音楽鑑賞

 ロードバイク

 バイク

 アメリカンドラマDVD鑑賞

ちなみに好きな音楽は、ビジュアル系を中心とした、
骨太バンドサウンドです。

X japan、LunaSea、L’Arc-en-Ciel、Penicillin、SIAM SHADE、
La’cryma Christi、SOPHIA、Janne Da Arcなどを聴いて、
青春時代を過ごしました。

好きな映画は、

 
 しあわせの隠れ場所

 タイタンズを忘れない

 ANY GIVEN SUNDAY

ちなみに全て、
アメフト関係の映画です(汗)

しあわせの隠れ場所は、
映画館に3回観にいったぐらい、
ハマリました。

恵まれない環境で育った黒人の青年、ビッグ・マイクが、
人種の壁を越えて家族愛を育んでいく傑作です。
アフィリエイトとは関係ないですが、

ぜひご覧いただきたい映画です^^
人生で大切なものを思いだします。

好きなマンガは、

 SLAM DUNK

 NANA

 サンクチュアリ

 ONE PIECE
 

好きなファッションブランドは、

 HUGO BOSS

 DIESEL

 Cruciani

 BARBA

生い立ち

私は1980年11月3日、
大阪府の国立大阪病院にて生まれました。

その後、
父親の仕事の関係で、
赤ん坊から幼少期までを九州で過ごします。

九州の記憶はほぼありません(笑)

ちなみに私の「博人」という名前は、
「博多」で生まれた「人」という由来だそうです。

生まれた「場所」は正確には大阪ですが、
一応博多で両親が過ごしている時代に生まれたので、
「博人」にしたそうです。
※よく考えれば、「大」人の方が正しいのでは(笑)

この由来を親から聞かされた時は、
「えっ!そんなに簡単な由来なの?!」と
驚いてしまいました(汗)

もう少し細かく考えてくれていると思っていましたので・・・

小学校時代

九州の次は、
千葉県市川市に引っ越しをして、
ここでは小学校3年生まで過ごしました。

小学校低学年の頃の私は、
あまり勉強もせず、遊びもそこそこ、スポーツもそこその、
いわゆる「普通の子」でした(笑)

特に勉強に関しては、
毎日小学校には行くものの、
「この勉強という作業って意味があるのかな?」
なんて思っていました。

世の中に存在する前提やルールの理由を
探りに行くクセは、この頃からあったのだと思います。

今でこそ夜はそこそこ
起きていられるようになりましたが、
この当時は毎日8時~9時に就寝(!)していました。

眠たくなったら寝る!

という非常にシンプルなルールで行動する、
“野生児”として行動していました。

ちなみに、私の回りの友達は、
夜遅くまで勉強したりテレビを
見たりしていました。

私は友達が、
「昨日のあのテレビ見た~~?!」みたいな話に
なっても、
「いや、もう寝てて見てないよ。」ということで、
全く話についていけないことが多々ありました(笑)

そんな私ですが、
小学校3年生の6月24日に、
奈良県生駒市に引っ越しをします。
ここで18歳まで過ごすことになります。

ですから私のいわゆる「故郷」は、
この奈良県生駒市になるのだと思います。

ちなみに奈良県生駒市にある実家というのは、
母方の祖父・祖母が住んでいた家で、
かなり田舎なので家が妙に大きい。

父親が関西転勤になるにあたり、
「そこでみんなで住もう!」ということになり、
転がり込んだ訳です。

ということで、父親はいわゆる
サザエさんでいうところの、
「マスオさん」に当たります。

我が家はアメリカンドラマ
「フルハウス」のような家で、
関西人ということもあって、
一日中ギャアギャア騒がしいです。

笑顔と話声の絶えない,
素敵な家だったな、と思います。

マツダのカペラワゴンという車に
家族6人でギュウギュウ詰めで
乗りこんで、何度も旅行しましたし、

この家族での思い出が、
今の自分のベースとなっていると思います。

ちなみに小学校5年生の時に、
私も転機を迎えまして、
ある日父親が私の部屋に入ってきました。

「なぁ、ちょっと勉強してみいひん?」
(注:関西弁で「ちょっと勉強してみないか?」という意味)
と言い出しました。

それまでの私は、
本気で何かに取り組んだことがなく、
勉強に関しても同様でした。

奈良県生駒市というのは、
大阪のベッドタウンにあたるところでして、
10分で大阪府に行けるところにあります。

伝統的に教育熱の熱い(?)地域でして、
周りの友達は小学校時代から一様に塾に通っていました。

しかしその頃の私はミスターマイペース。
何も考えずに、毎日を暮らしていました(笑)

 

後から聞いたところによると、
そんな私に対して、父親は、

「こいつはどう見ても、これから始まる
 中高の受験戦争には勝てそうにもないな・・・。
 今、勉強させておいて、同志社や関西学院のような、
 大学まで付いている学校に入れておこう!」

と思ったらしく、
私に話をもちかけたそうです。

その時点での私の学力というのは、
かなりプアーなもので(笑)
受験には全然箸にも棒にもかからないレベルでした。

だけど、
周りの塾に行っている友達に対して、
妙なコンプレックスを持っていて、

「塾に行っているからってなんだ!
 俺だって塾に行きさえすれば、
 賢くなれるんやぞ!」

ぐらいに思っていました(若いですね~)。

それからの中学校受験までの間の
1年間は、かなり勉強しました。
生まれて初めて何かに本気になった瞬間です。

そして努力し、そのリターンを受け取ることの
楽しさを理解したのもこの時でした。

努力して結果が出たら楽しいな!と、
思うようになったのです。

中学校・高校・大学時代

そして一年後に、
奈良県にある西大和学園中学校に
入学することになりました。

中高の6年間は、
すごくスパルタの進学校だったこともあり、
勉強に追われまくった6年間でした。

ちなみに、
現在の西大和学園は、

我々の時よりも入ってくる子どもたちが
格段に優秀になったため、
スパルタで教えなくてもよくなったそうです(爆)

私はもともと、
誰かに何かをやらされる時よりも、
自分が「これをやりたい!」と思った時の
方がパワーが出るタイプなので、

この6年間は,
かなりくすぶった想いを抱えていました。

だが、
なんとかかんとか、
6年間生き延びることができ、
神戸大学に進学することになりました。

神戸大学では、
部活(アメリカンフットボール部)に、
のめり込んだ4年間(実は留年したので5年間。。)
を過ごしました。

アメリカンフットボールは、
コンタクトを伴う非常に激しいスポーツ。

関西ではかなりのメジャースポーツでして、
神戸大学は国立大学で、
きちんとしたコーチもいないのに一部リーグに
存在し続ける、不思議な(?)チームなのです。

その代わり、
練習はとても厳しく、大変な想いもしましたが、
今の自分の人間性を作ってくれたのは、
間違いなくこの神戸大学での4年間でした。

この4年間というものは、
周りの皆が遊んだりバイトをしたりしている中、

「自分はこれをやりたいんだ!」とアメフトを選び、
それに打ち込んだという意味で
今の自分の生き方を作ってくれた時間でした。

大学を卒業する時には、
特に何も考えず、
周りのメンバーが就職活動しているのを見て、
私もなんとなく就職活動をしました。

その結果、日本生命保険相互会社に入社。
お世話になっていた先輩が多数入社されていたので、
トントン拍子で入社が決まってしまい、

「これでいいのかな・・・?!」と思いつつも、
先輩方が陰で動いてくれていたので、
「俺はここで働くんだ!」と強引に決意しました。

サラリーマン時代

日本生命に入って最初の2年間は、
和歌山支社というところで過ごしました。

和歌山支社では、
社会人としての基礎を叩きこまれました。

周りの方々にとても良くしていただき、
充実した時間を過ごしました。

ちなみに和歌山はレジャー施設が
全くないところで、休みの日には
温泉に入るぐらいしかやることがありません!

逆にそのおかげで、
「土日にどこかに行って遊ぶ」という習慣がつかなかったのは、
社会人のスタートを切るにあたり良かったと思います。

ちなみに和歌山には白浜という
有名なビーチがあります。

白浜というだけあって、砂が白くて、
とてもキレイなところです。

私にとっては、
関西時代の海と言えば白浜でして、
白浜のキレイさを記憶に残したまま、
湘南に行った時はびっくりしました。

「砂浜、黒っ!水も黒っ!!」

関東の海って、こういうところなのか!
と心底びっくりしました。

社会人3年目には、東京に異動。
ザ・オフィス街である、
丸の内で仕事をするようになりました。

物ごころついて初の東京だったので、
初出勤の時は、
「このビルすげぇなぁ・・・」とキョロキョロしながら出勤した、
田舎者感丸出しの25歳でした(笑)

東京暮らしにも慣れたころ、
仕事の配置換えがありまして、
私は全国を回って、生命保険の講演を
する仕事をするようになりました。

これは本当に本当に楽しい仕事で^^

この時、

「仕事ってこんなに充実感を得れるものなんだ!」

「自分が成長すればするほど、他の方に良い情報を届けられるんだ!」

「与えれば与えるほど、お客様から感謝が返ってくるんだ!」

という、
仕事や商売の原則を学びました。

なかなか、
サラリーマンで、
こんな経験はさせてもらえないでしょうから、
本当に私はラッキーだったと思います。

そんな中、
沖縄であったり、鹿児島県の離島に出張することが
何度かあり、

中学校時代から持っていた、
「海」へのあこがれが復活・表面化します。

これはなかなか他県出身の方には
伝わらないのですが、

奈良県というのは、四方を陸地に囲まれた、
海のない内陸地でして、

逆説的なんですが、海がない所に育つと、
海が好きになります。

ないものねだりということなのでしょうか(笑)
海に対して恋こがれます。

私は9歳の頃から、
そんな奈良県で育ちましたので、
海がないところにいるのに、海が好き、
というイビツ(?)な感情を抱くようになりました。

特に高校時代には、
「BB FISH」というマンガにはまりまして、
そちらの舞台が沖縄で^^

非常にキレイな海を舞台に、
主人公のウシオが恋にスポーツに活躍していく物語でして、

その話を見て、私はいたく沖縄が好きになり、

「いつか沖縄に行ってやる!」

「できることなら、住んでやる!」

ぐらいに思うようになりました。
※その時は沖縄に行ったこともなかったのですが。。

そして、
この頃、南の島への出張するチャンスを得て、
「自分はこういう所が本当に好きなんだなぁ」
という想いを新たにしました。

そんな中、
生命保険の講演を仕事としているので、
当然ながら生命保険をお話するのですが、

生命保険の話をしようとすると、
どうしても社会保険(健康保険や雇用保険)についても
話す必要が出てきます。

そこらへんを勉強していくうちに、

「よし、この社会保険を勉強してみよう。

 そして、社会保険のプロ、
 社会保険労務士になってみよう!」

という想いが芽生えてきました。

この頃から、
サラリーマンというのは、
自分の想いや正義すら貫けないこと。

また、いくら頑張っても、
収入が変わらないことに対して、
どうしようもない違和感をおぼえるようになりました。

私の友人や同期入社のメンバーは、
仕事が終わった後、
飲みに行ったり、合コンに行ったりする訳ですが、

私はその時間を、
より良い講演をするために、より良い仕事をするために、
色んな方にお会いしたり、
セミナーに出席したり、
読書をしたりして,
分を高めることに時間を使っていました。

そんな自分と、
遊びまわって二日酔いで出勤してくる同期のメンバーが
これからずっと同じ給料なのか、と思うと、
なんとなくというより、全然納得いきませんでした。

「自分の人生、このままでいいのか?!」

「このままサラリーマンで終わっていいのか?!」

という思いが、
フツフツとマグマのように湧きたまってきていました。

そこで考えたのが、
この社会保険労務士。

この資格をとって独立して、
自分の力で生きていこう!と
考えたのです。

今、この頃の戻れるのあれば、
「おい、ちょっと待て!」ととめてやりたい(笑)

資格試験勉強時代

 

そして本格的に勉強をやりだしたのが、
2007年の11月。

2008年の8月の試験に向けて、
猛烈に勉強するようになりました。

しかし試験1ヶ月前に、
ハタと気付きました。

「あれ?これをずっとやっていて、
 自分の目標は達成されないんじゃ・・・?
 自分は沖縄に住んで、自由な人生を
 過ごすのが夢なのに、
 この延長線上にその夢はあるのかな?」

と。

アホです(笑)
もっとやる前から気付いておけばよかったです。

そんなことになると、
当然勉強にも身が入らなくなります。
しかしなんとか根性で継続し、
試験を受験したのですが、

結果は3点差で不合格(ノ◇≦。) ビェーン!!

今となって見れば、
不合格になって良かったと思います。

だって今ごろ、奈良でしがない社労士になって
いたのかもしれませんから(笑)

試験を終えた私は、
新しい道を探すようになりました。

この頃から、
成功への熱い想いがフツフツと
湧きあがってくるのを止められなくなりました。

ちょうど今から2年ほど前のことです。

でもその想いを実現する方法が
分からなかった。

おそらくこのプロフィールを読んでいただいている
あなたも同じような想いかもしれませんね。

そんな時、
あるコンサルタントの方と出会い、
成功するためにはそのための方法というものが
「成功哲学」という形でまとめられていることを
知りました。

そこから、
成功哲学を学べる学校に通うようになりました。

成功を目指し始めた駆け出し時代

この成功哲学を学ぶべきかどうかというのは、
議論の分かれるところでして^^;

特に必要のない方もいらっしゃれば、
この方は勉強された方がいいんだろうな、
と思う方もいらっしゃいます。

その当時の私というのは、
いわゆる「固定概念の塊」でして、
「○○と言えば○○」といった物の考え方しか
できない人間でした。

そういった考え方を改めることが
できただけでも、
良い投資だったなと思います。

また同時に出会う方のタイプも
変わりだしました。

それまでは、
いわゆるサラリーマンの方と知り合う事が
多かったのですが、

そのころを境に、
起業している方や、
フルコミッションの営業をしている方と
知り合うことの方が圧倒的に多くなりました。

そして本気で成功を目指しだした半年後、
運命の出会いをすることになります。

その頃になると、

「時間や場所を選ばずに取り組める、
 インターネットビジネスというものは、
 素晴らしいものなのでは?!」

という風に考えるようになっていて、
自分なりに勉強・実践するようになっていました。

だが、
なかなかきちんとした形での実践までは至らず、
「どうにかこの状況を打開できないものか・・・」と
考えていました。

そんな中、
沖縄在住のインターネット起業家の方が、
東京で行われたセミナーに参加しました。

そのインターネット起業家の方は、
ものすごい実績を出している方だったのですが、
セミナーの内容も理論的で、
「それならば稼げるな」と腑に落ちるものでした。

そしてセミナー後の懇親会でも親しくなり、
その後は色々な出来事やトラブルがあったのですが、
最終的には、スカイプや電話でインターネットビジネスを教えて
いただくようになりました。

彼はコンサルティングも手掛けている関係で、
東京に出てきていた時を狙ってお会いしたり、

私が会社を1週間休んで、沖縄に行ってビジネスを
習いに行ったこともありました。

そんなことを繰り返した約5ヶ月後に
彼からお話があり、
「そんなにやりたいのならば、
うちの会社に来て、本格的にやってみてはどうか?」
ということでした。

私はとるものもとりあえず、
沖縄に向かいました・・・と言えればカッコイイんですが(笑)

なかなかそうもいかず、
周囲の人たちを説得し、
会社の上司にお願いをして、
ようやく2010年4月、沖縄に移住し、
その方にいわゆる弟子入りをすることになりました。

決断の瞬間

 

ちなみにこの話をいただいたのは、
私が沖縄本島を経由して、
石垣島(とその周りの離島)に旅行した際、

石垣島行きの飛行機に乗り換える前に、
彼にお会いした時のことでした。

そんなお話をいただいた時の旅行だったので、

「どうしようか。何が自分にとってベストなのだろうか。」

と思いながら旅行をしているうちに、
もうひとつキーポイントとなる出会いがありました。

「ちゅらさん」で有名な小浜島に
行った際のことなのですが、
「パナパナ」という宿に宿泊しました。

パナパナのオーナーと色々と話をしていく中で、
自分が今どういうお話をいただいていて、
何に悩んでいるのかということを話しました。

そこでオーナーとの会話を少し再現します^^

オ「萩原さん、今何歳?」

私「28歳です。」

オ「そうか、じゃあ今が決断するタイミングかもね。
  29歳になると、30歳という大きな節目まで残り1年になる。
  そうなると、なかなか冷静に考えられなくなるのよ。
  妙な焦りのようなものがでてくるから。

  だから、もし自分が萩原さんの立場なら、
  28歳の今決断するわね。」

私「そうですか・・・。」

オ「あと、この機会を逃すと、
  次の機会までかなり時間があくと思うの。」

私「そういうものなんでしょうか?」

オ「うん、そうそう、こういうチャンスってないのよ。
  たぶん5年・10年単位で次の機会を待つことになると思うわよ。」

このお話が最後のひと押しとなって、
サラリーマン生活を卒業し、
今の師匠のもとに弟子入りすることにしました。

そして、
2010年4月15日から、
沖縄入りして修行生活が始まりました。

修行生活自体は非常にハードで、
心折れそうになった瞬間もありましたが(汗)
無事最後まで続けることができました。

これも支えてくださった人がいらっしゃっるおかげだ、と
感謝感謝の毎日です。

そして、
修行で培ったマインドと実績・スキルをベースに、

「本格的にアフィリエイトに取り組もう!」と
考え出したのが2011年2月。

今日も、
アフィリエイトにがっぷりと取り組んでいます。

こんな私ですが、
一番このサイトの情報を伝えたいのは、
過去の私かもしれません。

サラリーマン生活に漠然とした不安と、
現状に対する不満を抱えているものの、
何をして稼いだらいいのか分からない28歳だった私に。

あの頃からアフィリエイトに取り組んでいれば、
今頃どうなっていたのかな?なんて思いますから(笑)

そんな私ですが、
サイトをご覧いただいている皆様に、
最高にお役に立てる情報を発信していきたい、と
思っています。

人生を変えたい!と思ってはいるものの、
最初の一歩が踏み出せない!というあなたに、
最速で稼げるようになるアフィリエイトをお伝えします。

長くなってしまいましたが、
私のプロフィール詳細を最後までご覧いただき、
ありがとうございました。

今後ともハギチョスこと萩原を
どうぞよろしくお願いいたします。

2011年2月12日